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大和ミュージアム

今日は JRさわやかウォーキング三島駅に参加しましたが
帰省中のブログが 更新できずじまいのため まずそちらを書いて
連休中には ウォーキングブログの更新をしたいと思っています。

では、前々回から続いている8月に訪れた呉市にある大和ミュージアムです。

前回ブログのてつのくじら館の道路を挟んで 真ん前に
大和ミュージアムは 建っています。
大和1

おもてには、戦艦『武蔵』の錨やスクリューがあり
大きさにまず驚かされてしまいます。
私の実家のある尾道もその昔から 造船業が盛んなところで
尾道水道をはさんで 向島というところには 今も多くのドックがあります。
朝の連ドラ『てっぱん』で主人公おのみっちゃんこと あかりの育ての両親も
向島の造船業を営んでいましたね。
私が高校生になる前年まで 高校には造船科があったくらいです。
一時期の不況で造船科は なくなりましたが 今でも 尾道では 造船業が活発です。

話がそれてしまいましたが 戦艦大和の一部は 向島の造船所で作られたようです。
なので 本当は時間をかけて 館内をゆっくり説明を読みながら 進みたかったのですが
なにぶん、お盆休みという事で すごい人で とにかく列に並んでいると どんどん自分が
流されていくのです・・・おっと・・もっと そこ読みたいな・・・あれ~~~という具合。。。
帰省 8月10~15日 063
この10分の1の戦艦大和のところまでは みんな入れますが 企画展示があるところは
別料金を払い 行ってみると進水記念品や進水式の支綱をきった斧などが 多く飾られていました。
みて しっかり読みたいのですが とにかくどんどん流され 撮れたのは これ帰省 8月10~15日 069
『赤城』の前には あまり人がいなくて 写真が取れました
帰省 8月10~15日 067
この戦艦『長門』の先任旗
先任旗とは 2隻以上の軍艦が港に停泊するときに 最上級の指揮官が
乗船している軍艦のマストに掲げられるものだそうで この先任旗は 
終戦時 『長門』の艦内にあったものだそうです。
接収したアメリカ軍人のご息女から テレビ東京『開運なんでも鑑定団』へ
軍艦旗、少将旗とともに出品され 俳優の石坂浩二氏が購入、
氏のご厚意により呉市に寄贈されたと 書いてあります。
進水式の映像などが 流されていましたが 黒山の人だかりで
脇からも 画面が見れないほど。。
艦長の家族にあてた遺書なども 展示されていました。
皆それそれの立場があり 本音を書くことができないため 明るい内容の中に
心のうちがときにしたためてあって ざっとしか目が通せませんでしたが
胸が締め付けられるような思いの内容もありました。
軍服や帽子なども 家族からの寄贈で展示されていました。

そして 主人が見たかった零式艦上戦闘機62型210-118機です
呉2

展示されているのは62型中島82729号で 明治基地(現・愛知県安城市)
第210海軍航空隊の所属機であると書いてありました。
昭和20年8月6日夕刻 吾妻常雄海軍中尉(当時)が操縦中 エンジントラブルにより
琵琶湖に不時着水し 昭和53年1月に引き揚げられたものだそうです。

そのほか 海軍青年士官から提案し作られ平均年齢21歳の100名以上の
尊い命が失われた特攻兵器『回天』や特攻潜水艇『海龍』がありましたが
本当に 胸が締め付けられるほど 切ない思いがしました。

ここには 高1になった息子も同行しましたが 言葉も少なくなり 
小説『永遠の0』に書いてある以上に 当時の同じ年頃の子供たちの悲惨さを感じ
戦争の悲惨さを残されたものから 察したようでした。
見渡せば 60歳代以上の年代の方の多くの人々が 孫世代の子供を連れだって
家族連れで来館しているようでした。。。(なので 人も多いわけです)
私も私の母も戦後生まれ、父は18年生まれですが ほとんど戦時中の記憶はありません。
このような 博物館があり 戦争を知ることは とても大切なことです。
人類は 同じ過ちを絶対犯してはならない。。そう 強く感じた場所でした。

その後、あれいからすこじまというところに行きました。
実際の海上自衛隊潜水艦が停泊してる場所という事で 車で10分。。
あれい1
どこに 車を駐車してよいやら分からず とりあえず曲がったところは 
海上自衛隊の敷地で おもいっきり いや~な顔されました。
実は 日曜日は 実際の護衛艦の見学を受け付けているそうですが
この日は12日(火)で『今日は見学日ではありません!』と叱られてしまいました(^_^;)
駐車場を探しているだけなのですと説明したものの わかっていただけなくて
近くの駐車場的なところを スマホで速攻検索し 公園の駐車場があると知り
そこに車を停めて 歩いて海辺まで行くと 護衛艦や潜水艦が 
柵越しですが見えました
帰省 8月10~15日 086

帰省 8月10~15日 091

珍しく蝉の鳴き声がうるさく感じるくらいの暑い日でしたが 近くをしばらく散策し
呉
このような レンガ倉庫のところを歩き 帰路につきました。

ということで もっと長い日数 尾道には滞在したのですが これと言ってすることもなく
ただ 両親の元気な姿と 笑顔にホッとする日々を過ごし 15日夜に静岡に向けて出発
翌16日の朝10時には 富士宮の自宅に到着し また 普通の生活に戻りました。

あと3か月半・・・また お正月に元気な両親に会えることを願って
日々 頑張っているところです。
何をするというわけでもないのですが しばらく会えない親友に会ってしゃべったり
両親の愚痴や世間話を聞いたり・・・
やっぱり 尾道の空気は 私を元気にしてくれるようです。
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コメント

親孝行

”両親の元気な姿と 笑顔にホッとする日々を過ごし”
ご両親もきっと同じ思いだと思います。何事も無く元気な姿を見せるのが親孝行ではないでしょうか。 

先日の某TV局で呉港の事を放映していました。
「大和のまち」呉
其の中で、当時の戦艦大和の造船技術の事の説明で、とにかく「早く造れ」ということで、「ブロック工法」(各部ごと造り組み合わせて行く方法)が今の自動車・造船技術・建築等々に応用されているそうです。また大和の主砲の「回転座」は東京の某ホテルの最上階の回転レストランにも応用されたそうです。

2014/09/14 (Sun) 07:08 | あすか #- | URL | 編集

好いところを見学されましたね。
しかも息子さんも一緒に。。
大和ミュージアムには行ったことがありませんが、こういった施設へは、戦争の悲惨なこと、空しさを実感してもらう為に、多くの国民に見て欲しい施設だだと思います。
自宅は艦砲射撃に遭い丸焼け、母親に手を繋がれて、防空頭巾に水を掛けてもらい、戦火の中を逃げまわったことは今でもハッキリ覚えております。

2014/09/14 (Sun) 07:34 | country walker #- | URL | 編集
Re: あすかさんへ

コメントありがとうございます

今まで帰省しても 特別な言葉を言わない母が 
帰ってきてくれてありがとう。。会えて嬉しいわ・・』と。
こんな言葉を言う人ではないのに 私の顔をみて笑って言ってくれました。
息子の受験と主人の父が亡くなったことで しばらく帰省しなかったので
私も実家に帰りたかったのは 事実ですが 母の言葉に ハッとさせられました。
あと元気で20年居てくれたところで 私が年2回 きちんと帰省できるとは
限らないので 両親に会うことができるのも40回ないんだな。。。
そう思うと切なかった時間もありました。
いつまでも元気でいて欲しい。。
そのためにも 私も元気で働かなければ・・と強く感じました。

大和の造船技術は 今現在の日本の工業技術に大きく関わってることは
現地の説明していらっしゃる方も話していました。
当時は 最先端の技術だったのでしょうね。。。

2014/09/14 (Sun) 21:57 | みるくぱん #- | URL | 編集
Re: country walkerさんへ

コメントありがとうございます

このような施設で 戦争を知るというのも大切なことと思います。
ぜひ 子供たちには 悲惨であっても自分の目で見て
感じて欲しいと思っています。
現実には もっと悲惨な状態なのではないかと思うのです。
テレビゲームのような バーチャルなことではなく
自分の心で感じて欲しくて 同行させました。
命の尊さを 多くの人びとに知ってもらえる施設でした。


> 好いところを見学されましたね。
> しかも息子さんも一緒に。。
> 大和ミュージアムには行ったことがありませんが、こういった施設へは、戦争の悲惨なこと、空しさを実感してもらう為に、多くの国民に見て欲しい施設だだと思います。
> 自宅は艦砲射撃に遭い丸焼け、母親に手を繋がれて、防空頭巾に水を掛けてもらい、戦火の中を逃げまわったことは今でもハッキリ覚えております。

2014/09/14 (Sun) 22:37 | みるくぱん #- | URL | 編集

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