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ヒロシマのねがい

昨年末 12月28日は 広島の世界遺産 2か所に行くため
 
朝から 嚴島神社、午後からは 広島市内へと移動し
 
中区にある 平和記念公園に行きました。
 
 
広島県尾道市で生まれ育った私にとって 広島市内は
 
とても遠く都会的な街という印象が幼き時からありました。
 
そしてもう一つ 広島県ならではかもしれませんが
 
小学校時代には 平和教育に時間を特別に設けてあり
 
夏休みの8月6日には 登校日で 学校に行くとまず
 
平和式典の時刻には 全校児童での朝礼があり 原爆投下の
 
時刻には 1分間の黙とうをし 平和についての授業をし
 
原爆の映画や資料のフィルムを見たものでした。
 
なので 平和とは何かを 考えることが多かったように思います。
 
しかし 成人し 社会に出て 人並みにもまれ それなりに
 
過していると 忘れかけてしまいそうな時もあります。
 
実際 我が子などは 県が違う事もあるとは思いますが 
 
まったくと言っていいほど 平和教育はなされてないと思い
 
大人になるまでには 一度 この地に連れてきて 自分の
 
目で見て 聞いて 自分で心に刻みつけてほしいと
 
強く思っていたので 家族の反応が とても気になりました。
 
 
広島平和記念資料館は 大人は50円という料金で入れます。
 
そして 音声ガイドを300円で借り 息子に持たせました。
 
驚いたことに 平和公園では 半数が外国人観光客で
 
日本人は 小さな子供を連れた家族が多かった事です。
 
 
私は 小学校4年生の時に バスで日帰り学習で訪れ
 
その時の建物とは 今は全く違い 近代的で綺麗になってました。
 
10歳の私の記憶をたどってみると 非常にショッキングな光景が
 
焼き付いていて はっきりと思い出すことばかり。。
 
建物が変わっても 中の展示物は 変わってないのだろうか・・
 
そう思いながら 進みましたが 以前のような ガラスケースに
 
多くの遺品が展示する形ではなく 一つ一つ大事に説明がつき
 
ガラスケースに展示されていました。
 
お弁当箱の中の 真っ黒に焦げたご飯の一粒一粒が墨になり
 
残っていたり、ガラス瓶が グニャリと飴のように曲がった形、
 
血のついた肌着などは 目を閉じると 思い出され
 
それらも この建物に変わらず保存されているのか気になりました。
 
歩いて進むうち 中1の息子は 言葉が少なくなり 小2の娘は
 
私にしがみ付き 離れなくなりました。
 
ここに 保存されるすべてのものは 作り物ではないという
 
現実を受け入れることに 時間はかからなかったようです。
 
私は 説明したくても 言葉に詰まり上手く子供に伝えられません。
 
10歳だった私が見る視点とは また違った視点で見るため
 
覚えている光景とは まったく違ったものに見えました。
 
途中では 被ばくした母と子2人の3体のマネキンが
 
当時の様子を再現しているのですが 娘は怖がって私にしがみ付き

息子は 音声ガイドを聞いていられなくなりました。
 
そのくらい 衝撃を受けたようでした。
 
現代では 保存技術も進んだようで 実際の被爆者の
 
ケロイドの皮膚も ホルマリンの中に入れられ展示しています。
 
1945年8月6日 午前8時15分
 
一瞬にして 35万人の人々と街を襲った一発の原子爆弾。。

こんな悲劇を今後 絶対に繰り返してはならない・・
 
そんな思いで ピースボランティアの方々も 館内で詳しく
 
当時の様子などを 説明されていました。
 
そして 止まない核実験に抗議の文書が 悲しくも無数に 

貼り出されていて 心からこの文書が早くなくなることを願いました。
 
多くの外国人の方は 抱き合い涙され じっくりと説明を聞いて
 
真剣に心打たれている様子が とても印象的でした。
 
カメラを持って行きましたが とてもシャッターを押すことが
 
出来ず ただただ 祈る気持ちがいっぱいになった時間でした。
 
 
資料館を出ると 子供たち二人は 何かをそれなりに感じたようで
 
その後 詳しくは 私からはいいませんでしたが 
 
自然に戦没者慰霊碑に脚が向き 前で 祈りました。

ひろしま1

 
たくさんの折り鶴が手向けられている 原爆の子の像にもいき
 
全国からの折り鶴が ここに保管されているのを見ました。

ひろしま2
 
すべて 折り鶴で 出来あがってる絵です。
ひろしま3
 
 
その後、公園内にある多くのモニュメントをめぐり ドームへ。

ひろしま4

 
原爆ドームは 1996年12月に世界遺産に登録されました。
 
この建物は 1915年(大正4年)に広島県物産陳列館
 
(後の広島県産業奨励館)として開館し県産品などを
 
展示販売していたといわれています。
 
チェコの建築家による設計でアールを描く壁やドーム型の

屋根を持つモダンな外観は広島の名所となっていたそうです。
 
この横に 相生橋がありますが 中州と電車通りとを結ぶ
 
当時としては 珍しいT字の橋であり この橋が
 
原爆投下の目標となったといわれています。
 
ひろしま5

 
2時過ぎに 入館し 公園を歩きながら歩いていると 日が落ち
 
その夕日に照らされる原爆ドームは何とも悲しい姿に見えました。
 
物があふれ 当たり前にある幸せが どんなに大切か
 
ひとりひとりが 思い感じるそんな時間となりました。
 
 
その後、実家に戻り 29日,30日は のんびり過ごし
 
31日には 瀬戸内海を一望できる景色を探しに行きました。
 


 

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コメント

こちらも。

高校の修学旅行で行き、集会を開いた記憶があります。
資料館も見学したのですが、急ぎ足でみたので、、。

決して忘れてはいけないこと。

後世にも伝えていかなければなりませんね。

2012/01/09 (Mon) 21:07 | とほ娘 #- | URL | 編集
とほ娘さんへ

私の父は 戦前生まれですが 母は戦後生まれ。
私は 高度成長期に生まれ まったく戦争というものが
わからないため こういうところで事実を知るしかありません。
後世に語り継ぐ方々も 数少なくなってるため
積極的に 知らない人には 理解してもらえれば。。と
思っていますが・・
悲劇は 繰り返さないように 今の私たちが暮さねば。。と
そう思いますね。。

2012/01/10 (Tue) 08:11 | みるくぱん #- | URL | 編集
No title

百聞は一見に如かず、悲惨な様子を今の子ども達にも是非とも見せてあげるべきですね。
修学旅行などでも広島に寄り、見せてあげればと思います。
私が戦争の悲惨さ、無意味なことが実感出来たのはヒロシマと、あの小泉首相も涙を流した、鹿児島知覧の特攻平和記念会館です。
知覧では流れ出る涙が止まらず恥ずかしくなり、周囲を見れば皆自分と同じでした。

2012/01/10 (Tue) 15:35 | country walker #- | URL | 編集
No title

原爆ドームは年数回訪ねます。
しかし、お写真のような悲しい色は拝見したことは有りません。原爆の歌が脳裏をカスメマした。

2012/01/10 (Tue) 21:47 | Amanatsufox #zlH5Excs | URL | 編集
country walkerさんへ

おっしゃる通りです。。
ここに来れば 何も言わなくても 理解できるはずです。
私の学生時代には 修学旅行は 広島が多かったようですが
今は 韓国やオーストラリアなど 海外にいく事が多いとか。。
 
私の実家の両親も 鹿児島知覧の特攻平和記念会館にいき
人目をはばからず 声を出し大泣きしたそうです。
今でも その時読んだ手紙の一文を私に話す時には 涙ぐみます。
おおくの未来ある若者が 散っていかざるを得なかった時代。。
こんな時代を 2度と作ってはならないのですよね。。
娘は 悲惨さが恐怖に感じたようで 話したがらないですが
息子は 平和について 考えるようになったようで
本を読んだりしています。。
彼らが 今後の未来を作ります。
その手助けが出来る 大人でありたいと思っています。
 

2012/01/11 (Wed) 23:29 | みるくぱん #- | URL | 編集
Amanatsufoxさんへ

ちょうど、4時前で 夕日がドームを照らし
何とも物悲しい色に思えました。
何枚かとりましたが iAUTOモードで撮影したら こんな感じに
写ったようです。
セルフで撮ったら もっと明るい色でしたが
両親も 絵葉書のような 原爆ドームだね・・・と
じっと眺めていたので この写真を選びました。

地球を宇宙から見たら 国境はないはずなのに 
どうして 国と国で戦争をするのだろう・・・。
幼い時から 息子が言ってる言葉です。
どの国の人たちにも 平和がきますように・・・。 

2012/01/11 (Wed) 23:31 | みるくぱん #- | URL | 編集

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